昭和五十六年五月十二日 朝の御理解
御理解第九十一節「本を執って道を開く者はあられぬ行もするけれども後々の者はそういう行をせぬでも容易うおかげを受けさせる。」
今お道の信心の中で最も、例えば今日の御教えに反しておると云うならば、この御教えだと思いますね。教祖の神様がちゃんとお約束して下さってある。例えばご自身はあられもない行をなさったけれども、後々の者は容易うおかげを受けられるという。そこのやはり頂き違いというか、又はその容易うおかげの受けられる手立てというものが容易う説かれていなかった。それをつまびらかな説き方がしてなかった所に、やはり信心しておかげを受けるという事、徳を受けるという事がやはりあられぬ行がいるかのように思うてやはりあられぬ行をしてきた。合楽でもやはり私共がおかげを頂く初めの頃の事を思うたら、あられもない行であったろうと思いますけれども、そういう行をしなければ合楽でおかげを受けられぬというのではなく、それこそ簡単です、明瞭です、おかげが確かですと言われる、いわゆる合楽理念に基づく助かり方というもの、私共の先達である所の九州に先ず道を開かれた小倉の初代。もうそれこそ死ぬか生きるかというような御修行もなさった。しかも自然に起きてくるもの、成り行きというものではなくて自分が求めなさったという事。これは福岡あたりでもそうです。
福岡の町に布教に出られる時に二代金光様四神様に福岡という所はなかなか学者の多い所、云うなら生意気な書生達が多い所、だから私のような無学の者ではとても福岡では道は開けんだろうという意味の事をお届けなさった時に、四神様は「馬鹿と阿呆で道を開け」と。どんなに智者でも徳者でもね、そこに馬鹿と阿呆で道を開けと頭で開くのじゃないぞと、お前が云うなら徹底して馬鹿と阿呆で道を開けばまあ道は開けるぞともうそれこそ、いと簡単に教えられたけれども、吉木先生もやっぱり死ぬか生きるかというような御修行をなさった。
表行にかけては吉木栄蔵の右に出る者はおるまいと金光様が仰せられる程しの表行に徹しられた方なんです。やはり久留米の初代もそうであった。さまざまな修行をなさって金光様から「石橋さん信心辛抱さえしとれば物事整わぬ事はないぞ」とまあ簡単に教えられたけれども、なかなかそう簡単な事ではなかった。それこそ血の涙の出るような思いをなさった事もあろうけれども、その辛抱がだんだんお徳になってもう辛抱という事すら、私はですよ、おそらく思うのに、石橋先生にはなかったんじゃないかと思うんです。辛抱する事がいらんごつなった。それはどういう事かというと、もう一切を信心の材料、神様が下さるおかげとして受けておられる。そういうものが、信心辛抱のお徳というのじゃないだろうかと。はがゆい思いをするような事もあろう、人間だから。けどもそれがはがゆい思いを一つもせんで済む。その事を通して信心をなさったし、修行をなさった。ですからその事がいつも申しますように、小倉の桂先生が或る御大祭の時にもうそれこそお弟子さんのきら星のような偉い先生方ばかりずらり並んで御直会が始まろうという時に石橋先生に向かって「石橋さん、あんたん所の息子は馬鹿じゃのう」とおっしゃった。もう普通ならカチッとくるところで、それこそ席を蹴って立つような思いの時であろうじゃなかろうか。しかも満座の中で、成る程二代は大変頭の弱い方であった。子供ん時に高い所から落ちられてね、頭を打たれて、けれども御神務だけ御神勤だけは確かに出来られた先生です。その事をまあ指してでしょう。あんたん所の息子は馬鹿じゃなとおっしゃった。もうそれこそすかさず、「親先生おかげで信心が出来ます」と、心の中にそれを頂き込んどかにゃ言えるこつじゃないです。後から考えてみると、もう咄嗟にね本当にその事によって信心が出来ておられるおかげで、親先生おかげで信心が出来るとおっしゃる。そういう心が開けてこられたのも信心辛抱の徳だと私は思うのです。
例えば九州ではそのように小倉とか福岡とか久留米あたりの御信心を見ておっても、これは直接私の親教会である三井教会に於いてもやはりしかり、もう本当に命がけの御修行をなさって今日の三井教会が開けて居るんです。だから云わば、あられの行を次々なさって来られたんです。からと言うて、私共もやっぱり真似方でもせにゃいかんとじゃろうと思うてやっぱり桂先生の修行も吉木先生の修行も又、久留米とか三井教会の先生のなさった修行といったような事を、それこそ苦しいまぎれでさせて頂いたんですけれども、それではひとつも私はおかげを受けなかったんです。
そうしていく中にだんだんおかげを頂いてきたのは、いわゆるもう信心とは有り難くなる稽古である。偉くなる為でも賢うなる為でもない有り難うなる稽古である。
だから有り難くうならせて頂く為にはそういう表行のような事をせんでも福岡が頂いておられる、馬鹿と阿呆で道を開けと、私は今日はその福岡の初代の馬鹿と阿呆で道を開けという事は、まあ云うならば合楽理念の母体のものであったと思うんです。
ここは馬鹿で、ここは阿呆でとその馬鹿にならんならん、阿呆にならんならん、血の涙のでるように、歯を食いしばって馬鹿になってきた、阿呆になってきたという所もあります。ところが馬鹿になって阿呆になっとく事が一ばんおかげが受けられるという事が分かった時に、もう楽しゅうなってきた。馬鹿になる事が阿呆になる事がまあだおかげが受けられるぞ、又大きくなれるぞというような心です。だから血の涙が出るとかはがゆいとかいう事はない。そこん所を云うなら、だんだん頂きますと、ははあ、あれが地の心であったのだ、土の心であったのだという事になってきた。
土を云わば大地を豊かにする云うならば、修行を有り難くさせて頂くから益々地は肥えるばかり、それこそ一人でに物が出来るようなという今日のおかげなんです。だからもうそこん所から合楽の方達は稽古すればいい訳なんです。けれどもね、そこには馬鹿と阿呆になる事が辛いとやっぱし思うでしょう。血の涙が出る事もあろうけれども、それを実験実証したその暁にはです、ははあこれがこういう力を受ける、おかげを受ける元であったという事になるとそれは有り難いものという事になるんです。
だから成り行きをただ頂くだけじゃなくて尊ばせて頂こうというような表現で合楽では申します。成り行きを尊ばせて頂けと、ならそれもです、ただ尊ばせて頂くだけじゃなく為にはいわゆる、久留米の初代が頂いておられますように“信心辛抱”という事。やはり信心辛抱という事は貫くという事である。だからこの修行だけはさせてもらわなければいけんという事。ただあられもない行をする事はいらんのである。合楽では云うならば、馬鹿と阿呆になる、本気でのしかも大きなおかげを頂こうと思うならば、偉大なと思えれる馬鹿と阿呆にならせて頂く為には信心辛抱がいるという事。そしてその信心辛抱の徳とまでも感じられるようなおかげ。例えば、朝起きなら朝起きが楽しゅうなって有り難うなってきた時にはもう辛抱の徳になっとる時ですよ。まあだしるしい時には今あなた方は、辛抱しよる修行をしよんなさる時です。断食せにゃならん、水かぶらにゃならんという事ではない。私はその容易うおかげを受けられるというのは、そういう事をこう悟らせてもらい、把握させてもらってそれを各々の信心にしていくという事だと言うふうに思うんです。容易いからと、いわゆる、簡単です、明瞭です、おかげが確かですとこう。例えば言うてもですそれは傘一本で開ける道というように簡単に説いておられるけれども、傘一本頂くまでの内容が偉大なる馬鹿と阿呆にならせてもらわんならん。為には信心辛抱がいるという事。初めて合楽理念によってです、教祖が教えられるこの九十一節のね、御教えがその気になれば金光教全部がその気になれば、いわゆる容易うおかげが受けられる手立てが合楽理念によって出来たという事になるのです。
例えば私共の先達である三井教会も久留米の教会も福岡の教会も又は九州の小倉の桂松平先生も、それこそそう教えられておられるにも拘わらずやはり難しい修行をなさったという事です。いわゆるあられもない修行をなさったという事です。その中に一貫して流れてきたもの、それがいわば、教祖様の又は二代様の御教えがその流れてきておる大変いわば、険しい茨の道で伝わってきておるのです。それを茨の道とせずそれこそすっきりと、それこそ楽しゅう、有り難うその気になれば出来るというのが合楽理念なんです。
けれどもそこにはやはりです、なら黙っておる位容易い事はないですけれども、ここには言わにゃおられんと真っ青になって、心ん中には煮えたぎるのですからそれが修行なんです。それがだんだん積み重ねていく中に、腹を立てる事じゃない。むしろお礼ば申し上げんならんようなことに腹を立てたり心配したり悩んだりしよったという事が体験づけられてくるに従って、容易い楽しい有り難いという修行になってくる。
いくら容易いというても、ここん所の辛抱力、ここ所の稽古だけ位はせにゃならんというのが、私は信心辛抱だと思うです。その信心辛抱も辛抱という言葉がいらない位に、むしろその事が有り難いようなものが身についてくる。いわゆる信心辛抱の徳が身についてくる。はじめて偉大なる馬鹿と阿呆、偉大なおかげの受け物が出来ていく。
本当に合楽理念によらなければと思い、言われるようなおかげが約束されるのです。もう合楽の場合はね、おかげが約束されるわけです。私の言う通りにすればおかげになる。親先生任せになっとけば絶対おかげになる。というふうに約束づけられるその内容が今日聞いて頂いたような修行が、やはりこりゃ何の稽古にしても修行はいるという事。そしてお互い成る程合楽の信心は、簡単です、明瞭です、しかもおかげが確かですと人にも言えれるような信心内容を頂きたいですね。